私がピアノの先生になるまで

更新日:8月10日

保護者の方や生徒さんとお話しをしている時に私がピアノの先生になるまでのお話をする機会があります。せっかくなので書いてみよう!と思ったのでご興味のある方は読んでみてください♪





私がピアノを始めたのは年長の頃で自分からやりたいと言い始めたそうなのですが自分では記憶にありません。それよりももっと小さい頃に父がフルート、母がピアノを弾きアンサンブルをしていたことは覚えています。

鈴木メソードで学んでいたので、多くの著名なピアニストの演奏のカセットを聴きながら日々を過ごしていたおかげで耳は比較的よくなったのですが、初見が苦手な幼少期でした。


小学校では伴奏の機会が高学年になるとでき、弾いていたのを覚えています。

金管部に入り、コルネットからアルトホルンへパート移動し、マーチング大会では毎年東関東大会まで進み、充実した部活生活を送っていました。


中学での合唱祭は3年間伴奏をし、3年次にには伴奏者賞をいただき審査員の先生に褒めていただいたことも記憶にありますが、この頃にはピアノは辞めていました。


中学生になり吹奏楽部に所属していた当時は土日も終日部活、部活の方が楽しく楽器を持ち帰っては練習をしていましたが、ピアノの練習はどんどんしなくなり…車で送迎してもらっていたピアノ教室も電車で通うようになってからは疲れからか気づけば月1行くか行かないか…毎回母がお休みの電話をする姿を申し訳なく見ていました。

発表会の参加にも声がかからなくなり、中1の冬頃、教室を退会しました。


高校はもちろん吹奏楽。

強豪校ではないですが地元ではそこそこ頑張っている学校でした。

この頃にはトロンボーンを担当し、さまざまな大会に出場し楽しい3年間を過ごしていました。この頃は先輩や友人に頼まれてコンクールの伴奏をする程度でした。

商業科だったので音楽とは無縁。ひたすら電卓やキーボードをたたいていました。


大学は臨床工学を学ぶ学部へ進学し、大学でも吹奏楽部に。

この大学は半年経った頃、私には合っていない…と思い退学を決意しますが退学する理由がふんわりしすぎている…親に何て伝えようと考えていた時ふと出てきたのがピアノでした。

逃げ道のように出てきたピアノでしたが、親も納得してくれてここから練習を再開。

今まで一度も音大を考えたこともなかったので何をしたらいいかも右も左も分からないまま受験したのが専門学校でした。


無事特待生をいただき入学。

2年制のコースに入りましたが卒業後は4年コースの3年に編入。

その後さらに2年間は室内楽を学ぶための新設されたコースに入りました。

なんだかんだ6年学んだピアノ。

今でも師事し続けている素敵な先生とも出会うことができ、それだけでこの学校に入ってよかったと思えるくらいです。

嬉しいこと、楽しいこと、悔しいこと、悲しいこと、とにかくいろんなことがありすぎてあっという間の6年間でした。


この6年目の途中から初めての生徒さんができました。

友人の母から孫にピアノを教えて欲しいと連絡を頂いたのです。

このころ、ピアノ教室には全く興味がなく、でもせっかくのご縁だったので引き受けました。

しばらく1名の生徒さんを教えていましたが、学校を修了した後いよいよどうしようとなった時もピアノ教室はやるつもりはありませんでした。


7年勤めたバイトを辞め、正社員になりたい一心から目に止まった歯科助手に。

一度医療の道を挫折しているのにも関わらず、また医療。

1ヶ月も続きませんでした。(精神的にもちませんでした。)

その後は派遣で期間限定でチョコレート工場でひたすらライン作業を。

場所は遠かったですが結構楽しかったです。そのまま続けないかと声をかけてもらいましたが辞め、採用をもらっていた広告代理店へ。

この会社がとにかく楽しく、産休育休も含めると4年程度ですがお世話になりました。


この頃、私は地元の師事していた先生にどんな話の流れかは記憶にありませんが、ピアノ教室を始めなさい。1週間以内にホームページを作って持ってきて。と助言をいただき、募集を始めました。


子供もそんなに好きでない、経営なんて何をすればいいの、指導なんて自信ないし…という状態でしたがやるからにはやらないと!となりチラシを作って置いてもらったり、声をかけたりとしているうちに生徒が集まってきました。


広告代理店と教室の兼業が始まりました。


もちろん始めは全てが手探り。

教材もわからない、何から始めるかもわからない、税金はどうする、保護者対応は…など不安だらけ。税理士の先生を探して相談したり、週何回も楽譜を探しにお店に出向いたり。手探りで始まった教室でしたが産休の間に生徒さんが急増。この頃体調を崩し一生付き合う病も発症しました。会社はとても理解のある会社で同僚も大好きで続けたい職場でしたが体調を考えるととてもじゃないけど続けられない。実家でのピアノ教室を優先することにして退職しました。


今、ピアノ教室も軌道に乗り始め、教材や指導、自分のやりたいことや教室の方向性など少しずつ定まってきています。もちろんまだまだ学ぶべきことはたくさんあります。

演奏させていただける機会も増えてきて、音楽でこうして生活させていただけることを本当に幸せに思っています。


始めた当初からは想像できないくらい今では子どもが好きで(生徒さんは格別!)こうして今教室を開いてたくさんの生徒さんたちに出会えて、もちろん大変なこともたくさんありますが、逃げ出したいということもないですし、自分一人だからこそ判断に困ること、誰かに頼りたい時もあります。だけどそれもひっくるめて一人でやっていくこの仕事が好きで、支えてくれる周りの人たちがいるのが本当に嬉しいです。


たくさんあるピアノ教室、たくさんの先生たちがいて皆さん一人一人先生になるまでの人生があります。

私がこうして先生になるまでを書いてみるとなんだかいろいろな職、学校、人と出会いがあり、本格的に「音楽を!」と進んできた人たちとは少し違うルートな気もします。

音楽をやる!と目指した時期も遅ければ、受験を決めた時も大学を辞めるための口実にも聞こえるこの曖昧な感じ…。

だからこそ今生徒さんたちと進路や受験の話をするとしっかり考えている若い生徒さんたちの方が私よりもずっと大人だと思います。


ですが、私のように途中で進路を変更しても素敵な先生に出会えて、音楽を学んでこうしてたくさんの生徒さんに出会えて指導できるようになるということもあるんだなと参考になれば嬉しいです。


私はコンクールで上位に入るような優れたピアニストではありません。

音楽が大すきなどこにでもいる人です。

はじめから音楽で生きていこうとかピアノの先生になろうという気持ちはありませんでした。ですが人はいつどこで何をきっかけに変わるかわからないということが分かりました。


いろいろ経験できた自分の人生は楽しくて勉強になることもたくさんありました。

そしてたくさんの人との出会いもありました。


今楽しく生徒さんとピアノを弾ける日々が本当に幸せです💗


長々とありがとうございました♪

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